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<title>drecom_kan_no1959のブログ</title> 
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<title>パラダン（Paladins/勇敢な人たち）</title> 
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<issued>2010-02-13T02:16:31+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">パラダン（Paladins/勇敢な人たち）、デュッセルドルフ・オペラ、2月11日

ドイツのテレマンと同時代のジャン・フィリップ・ラモーの珍しい3幕物オペラである。和声楽ではラモー6の和音として作曲科では学ぶので名前だけは有名である。しかし音友の名曲解説時点にも載ってい...</summary> 
<dc:subject>オペラ</dc:subject>
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<![CDATA[パラダン（Paladins/勇敢な人たち）、デュッセルドルフ・オペラ、2月11日<br>
<br>
ドイツのテレマンと同時代のジャン・フィリップ・ラモーの珍しい3幕物オペラである。和声楽ではラモー6の和音として作曲科では学ぶので名前だけは有名である。しかし音友の名曲解説時点にも載っていないこのオペラの上演は日本ではたぶん絶望的であろう。ここの本場でさえも初めて見る題目である。組曲の演奏としてはカンブレラン指揮のSWRの録音があるかないかという程度である。<br>
<br>
この上演の前に先立って、解説が行われたが、自分は知らないで、終わる一分前にそこに入ったので筋などはぜんぜんわからない。ここではオペラの解説は予定表などに予告されていないので大変困る。<br>
<br>
演奏はいつものデュッセルドルフ交響楽団と思ったら、余りにも古学の楽器が揃いすぎているので確認した。ここの古学専門のオーケストラのノイエ・デュッセルドルフ・ホッフカペレという初めて聴く団体だった。一生懸命やるので決して悪くない。指揮者のユングへーネルは外見はハインツ・ホリガー、指揮振りは小澤征爾というところであろう。<br>
<br>
打楽器はティンパニはなくて、プロヴァンスの太鼓、タンブリン、ウッドブロック、アラビア太鼓、風音機など何でもする打楽器屋さんであった。弦はバロックのやつをすべて使っていて、６・５・４・４・２であった。自然ホルンが2、ファゴット2、オーボエ2、それにさらにバグパイプがついていたが、休憩の後の後半がなくて代わりにピッコロ持ち替えのフルート2が出てきた。バロックの鎌の形をした弓は柔らかい音が出て声に優しい。<br>
<br>
いつもの様にここの出だしの歌手陣は事前に発声練習していないのか楽屋で素人のように声が出なくて音程も凄く外れている。まもなく普通に戻るがこの出だしの悪い習慣は良くならないものか？普通のオペラ歌手を使っていた。<br>
<br>
演出はいつもの背広演出だが、客席にゲネプロのときの様な机を出して、始終絵を描くパフォーマンスが入っているので、絵のライヴ上演が同時に進行される。男女の愛のシンボルに男性器を描いたのは客席から笑い声が聞こえてきた。しかし絵である以上わいせつとは思えない。<br>
<br>
しかし約2時間の上演時間はフランス・グランド・オペラの原点になったバレエがふんだんにあるにもかかわらず、ヴェルディやプッチーニ、ワーグナーのような派手な音楽に耳が慣れている状態でやはりきつかった。<br>

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<title>パラダン（Paladins/勇敢な人たち）</title> 
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<summary type="text/plain">パラダン（Paladins/勇敢な人たち）、デュッセルドルフ・オペラ、2月11日

ドイツのテレマンと同時代のジャン・フィリップ・ラモーの珍しい3幕物オペラである。和声楽ではラモー6の和音として作曲科では学ぶので名前だけは有名である。しかし音友の名曲解説時点にも載ってい...</summary> 
<dc:subject>オペラ</dc:subject>
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<![CDATA[パラダン（Paladins/勇敢な人たち）、デュッセルドルフ・オペラ、2月11日<br>
<br>
ドイツのテレマンと同時代のジャン・フィリップ・ラモーの珍しい3幕物オペラである。和声楽ではラモー6の和音として作曲科では学ぶので名前だけは有名である。しかし音友の名曲解説時点にも載っていないこのオペラの上演は日本ではたぶん絶望的であろう。ここの本場でさえも初めて見る題目である。組曲の演奏としてはカンブレラン指揮のSWRの録音があるかないかという程度である。<br>
<br>
この上演の前に先立って、解説が行われたが、自分は知らないで、終わる一分前にそこに入ったので筋などはぜんぜんわからない。ここではオペラの解説は予定表などに予告されていないので大変困る。<br>
<br>
演奏はいつものデュッセルドルフ交響楽団と思ったら、余りにも古学の楽器が揃いすぎているので確認した。ここの古学専門のオーケストラのノイエ・デュッセルドルフ・ホッフカペレという初めて聴く団体だった。一生懸命やるので決して悪くない。指揮者のユングへーネルは外見はハインツ・ホリガー、指揮振りは小澤征爾というところであろう。<br>
<br>
打楽器はティンパニはなくて、プロヴァンスの太鼓、タンブリン、ウッドブロック、アラビア太鼓、風音機など何でもする打楽器屋さんであった。弦はバロックのやつをすべて使っていて、６・５・４・４・２であった。自然ホルンが2、ファゴット2、オーボエ2、それにさらにバグパイプがついていたが、休憩の後の後半がなくて代わりにピッコロ持ち替えのフルート2が出てきた。バロックの鎌の形をした弓は柔らかい音が出て声に優しい。<br>
<br>
いつもの様にここの出だしの歌手陣は事前に発声練習していないのか楽屋で素人のように声が出なくて音程も凄く外れている。まもなく普通に戻るがこの出だしの悪い習慣は良くならないものか？普通のオペラ歌手を使っていた。<br>
<br>
演出はいつもの背広演出だが、客席にゲネプロのときの様な机を出して、始終絵を描くパフォーマンスが入っているので、絵のライヴ上演が同時に進行される。男女の愛のシンボルに男性器を描いたのは客席から笑い声が聞こえてきた。しかし絵である以上わいせつとは思えない。<br>
<br>
しかし約2時間の上演時間はフランス・グランド・オペラの原点になったバレエがふんだんにあるにもかかわらず、ヴェルディやプッチーニ、ワーグナーのような派手な音楽に耳が慣れている状態でやはりきつかった。<br>

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<title>シュトックハウゼン・コングレス3日目のコンサート、ケルン大学、1月29日</title> 
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<modified>2010-02-22T22:03:27Z</modified> 
<issued>2010-01-30T23:39:25+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">これは2日前にWDR・FMで紹介していたので知ることができた。ネットでは同じ時間帯に音楽大学の珍しいオペラとジョン・ケージプロジェクトが平行して同じホールで催していておかしいと思って除いてみたが、オペラの準備だけがなされていて、ケージのプロジェクトはやる気配が...</summary> 
<dc:subject>現代音楽</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://kan-no1959.dreamlog.jp/archives/945727.html">
<![CDATA[これは2日前にWDR・FMで紹介していたので知ることができた。ネットでは同じ時間帯に音楽大学の珍しいオペラとジョン・ケージプロジェクトが平行して同じホールで催していておかしいと思って除いてみたが、オペラの準備だけがなされていて、ケージのプロジェクトはやる気配がなかったので、急遽シュトックハウゼンの方に行ってみた。音大ととっても州立なので公務員が事務員なのでちゃんとやる・やらないの広告をしないのはどこでも同じようだ。<br>
<br>
ケルン大学のコングレスは普通は新年度の10月に世界中の音楽学者を招いてやるのだが今年は予算の関係か一月に回ってきた。テーマはずばりここの老舗であるシュトックハウゼン。大学が音大鳥よりもこういうのが活発なのは、一概に音大自身の保守性によるものである。今回はいつもの日本からの専門の音楽学者はいないようだった。次ぎが概要である。<br>
<br>
1月27日<br>
18：00、オープンセレモニー、ウエルナー・パッペ<br>
20：00、コンサート、ドリスのためのコーラス、コラール、ティアクライス、イン・フロイントシャフト<br>
<br>
1月28日<br>
15：00、シュトックハウゼンの展望、フリジウス、ウーリッヒ<br>
20：00、コンサート、ヒムネン<br>
<br>
1月29日<br>
15：00、シュトックハウゼンの電子音楽、ブルムレーダー、ショット<br>
20：00、コンサート、少年の歌、テレムジーク、クラングから13時、ジェラルド・パッペ<br>
<br>
1月30日<br>
15：00、今日のシュトックハウゼン、ケンパーミラー、パランド<br>
20：00、コンサート、ポーレ、ミヒャエル・フェッター、ニケプレレヴィッチ<br>
<br>
すべて入場無料、飲み物とお茶菓子付き！<br>
<br>
世界中の音楽学者の集まりであり研究発表であり討論会である。無料なのはすべてが大学の予算でやっていて、私立ではないのでほとんどが公金を使うので一般の人が聴講するのは決して拒めないのである。しかしながら3日目のゼミの参加者はたったの15名と聞いた。コンサートの参加者はそれよりも多くて40名はいただろうか？しかし会場を暗くして電子音楽だけなのでこういう人数なのである。楽器声楽の生の演奏の場合はもっと人が多くて500人ぐらいは入るアウラでやっている。<br>
<br>
自分は時間がないので8時からのコンサートのみ。<br>
<br>
最初の「少年の歌」はもう何回「ライヴ」を聴くだろうか？とにかくどこでもやる。多くは放送で！今回のは放送局のスタジオようにスピーカーが離れていないのでその分密集的に聴こえ、自分にとっては内容が豊富に聴こえた。いくら空間音楽とはいえスピーカーを離すのはよして欲しい。これがもっとも密に聴こえるのはラジオの放送である。2chだが自分はいつのスピーカーを寄せているので凄く満たされて聴こえる。<br>
<br>
次のテレムジークはNHKで製作した作品なので雅楽や声明の音の輪郭が時々飛んでくる。デジタル風にこの鋭い音の連続は耳を守る自分にはそぐわない。もっとボリュームを下げて貰いたいものだ。従ってディスコのようで余り電子音楽は好きではない。私たちで商売上一番大切なのは耳なのである。<br>
<br>
休憩はいつものように10分でお茶とお茶菓子付、こういうのは少ない参加者の場合良くある。ウィーンの音大でもジョン・ケージ・プロジェクトではこういう段取りだった。<br>
<br>
後半はクラングから13時、「天球のパルス」。約35分かかるこの晩年の電子音楽は、彼が今滞在しているカマロカのドロドロとした情景のようだ。女、名誉、金などいろんな欲望がやってきては、満たされないものばっかりなので、苦しみに溺れるの中で次々に消え去ってゆく。インテンシーヴな35分後悟りながら自分の死をこの苦しみから解放されたかと思うと、やっと開放され次の世界に進んでゆく。<br>

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<title>1月15日のケルン放送響の定期（2010、フィルハーモニー）</title> 
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<modified>2010-02-22T22:03:26Z</modified> 
<issued>2010-01-16T19:51:04+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">いつもの様に開演一時間前に解説があった。いつもお喋りの合間に音例を流してくれるので退屈しにくいので聴きやすい。予告ではショスタコーヴィッチの交響曲第11番の筈で自分も聴きたかったが、直前に変更して交響曲第一番になった。コレは昔ウィーンのORFのスタジオでただで...</summary> 
<dc:subject>クラシック音楽</dc:subject>
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<![CDATA[いつもの様に開演一時間前に解説があった。いつもお喋りの合間に音例を流してくれるので退屈しにくいので聴きやすい。予告ではショスタコーヴィッチの交響曲第11番の筈で自分も聴きたかったが、直前に変更して交響曲第一番になった。コレは昔ウィーンのORFのスタジオでただで聴いて、しばらく聞かないで入るとまた聴きたくなる代物である。最近は金を取っても客が集まるらしい。SWRのシュトットガルト放送響では練習風景に通ったこともあって、ハインリッヒ・シフの指揮でティンパニがめちゃくちゃの音程でソロやったことも覚えている。さすがに本番はそういうこともなかったが、H・シフはべらぼうに耳が良いのでビチコフはこれに関しては顔負けである。今回の重要な情報はショスタコーヴィッチの妹でさえも当時はシベリア送りになった凄い時代だったらしい。それからメンデルスゾーン、ワーグナーと話題が逆流してきた。<br>
<br>
従って本番はこの反対で、ワーグナーの「ローエングリーン前奏曲」はもう公開練習で聴いた覚えがある。オケが調子が悪いのか小さなミスたちが続発。解説ではこの前奏曲は序曲のようなポプリではなくて既にオペラの話が始まっていることを示すために前奏曲を命名したらしい。分割しない指揮なので演奏時間約8分。次がピアノ協奏曲なので、ピアノを既に出したままのだらしないセッティングでの演奏。<br>
<br>
次のピアノ協奏曲第一番はメンデルスゾーンのト短調。アンティ・シラーラのピアノ。問題なく弾ける！管弦楽はちょっと凝って硬いマレットで古風手締めティンパニ、自然トランペット、自然ホルンの編成。バルブなどがないのでどこでも安価で手に入るので言われればすぐ調達できる。演奏時間約20分。アンコールは何かブラームスの間奏曲みたいのを弾いたと思う。<br>
<br>
休みをおいて最後はショスタコの一番。しかし小さなミスが多い。まさかこれでCDはできないであろう。一種の協奏交響曲か管弦楽のための協奏曲のような構造なので各楽器のソロが易しくはないのは確かである。演奏時間31分。<br>
<br>
従って正味59分の短い演奏時間だった。正直言うとやはり交響曲第11番が聴きたかった。ビチコフはこれが最後のシーズンなのでWDRのショスタコは二回目となる全集を全部録音していってやめて欲しい。バルシャイが既にやったこともお忘れなく！<br>
<br>
<br>

<!-- BASENAME=http://kan-no1959.blog.drecom.jp/archive/92 -->]]> 
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<title>「アザラシ組曲」の登録が終わりました！</title> 
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<modified>2010-02-22T22:03:25Z</modified> 
<issued>2010-01-15T16:56:18+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">Videoだと思ったらAudioでした。
質問は直接ここにどうぞ！
http://www.muzie.co.jp/artist/a038071
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<dc:subject>現代音楽</dc:subject>
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<![CDATA[Videoだと思ったらAudioでした。<br>
質問は直接ここにどうぞ！<br>
http://www.muzie.co.jp/artist/a038071
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<title>1月7日の公開練習とデュッセルドルフの「メリー・ウイドゥ」</title> 
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<modified>2010-02-22T22:03:25Z</modified> 
<issued>2010-01-08T23:15:38+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">


ケルンの毎週やっているフィルハーモニーの公開練習は着実に聴衆を増やしているらしい。今回も立ち見まで出る満員盛況で、今回の日・月曜日の定期も既に全部売り切れているらしい。最近はたかが30分の公開でも通しが多くなってきた。止めると出て行く客がいるからであろう...</summary> 
<dc:subject>オペラ</dc:subject>
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<![CDATA[<br>
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ケルンの毎週やっているフィルハーモニーの公開練習は着実に聴衆を増やしているらしい。今回も立ち見まで出る満員盛況で、今回の日・月曜日の定期も既に全部売り切れているらしい。最近はたかが30分の公開でも通しが多くなってきた。止めると出て行く客がいるからであろう。ステンツのギュルツニッヒのオケは今回はブルックナーの4番の３・４楽章を通しで聴かせた。ドゥダメルの批判が難しい解釈とはかなり違って、ステンツの場合はたくさんの要望が出てくる。このオケもかなり長く聴いているのでクセが良くわかり、その欠点さえ抑えればどんどん良くなる団体だ。ブルックナー協会版ではなくドーヴァーの安物ハース版を使ってノヴァーク版を指揮していた。シカゴ交響楽団への客演の帰りのお土産か？余り半には無頓着らしい。<br>
<br>
夜は久しぶりのオペレッタ。「メリー・ウイドウ」はウィーンでは大晦日に「こうもり」代わりにもやるが、日常時でもやることはやる。いつものようにこのオペラハウスの声の立ち上がりは悪い。どうも普段のオペラ歌手を使っているようで専門のオペレッタ歌手は呼べないらしい。後で歌唱力はまあまあになるがドイツ人のことだし演技力はまずは下手、やりすぎ、きつすぎる、不自然。あの昔のクライバー・ミュンヘンのビデオを見れば絶望するように、どんなに音楽などの歌唱力が凄くとも肝心のお笑いが自然に沸いてこないようではオペレッタは皆失格である。案の定、当たり前のことだがダニロのあの有名なウィーンのアヒル褌は出てこなかった。あれは台詞抜きに見ただけでどんなに面白おかしいか？言うまでもない。ドイツの歌劇場はこういうことは一切期待できないので「こうもり」などはまだ一回も行ったことがない。しかしながらさすがにクラシック音楽のポップスらしく大入り満員で、ミュージカルの次に聴衆動員力があるのは今も昔も変わっていない。いかに普通のオペラの入場率が低いかここでわかる。ポプリあり、ワルツあり、行進曲あり、ポルカあり、ポロネーズありで、これを全曲聴くとニュー・イヤー・コンサート一回分の曲の量に匹敵するので意外とお笑いとともに満足ができる。ドイツのオケは公開プローべも含めて終始硬いままではあったが！<br>

<!-- BASENAME=http://kan-no1959.blog.drecom.jp/archive/90 -->]]> 
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<title>公開練習12月17日、ケルン・フィルハーモニー</title> 
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<modified>2010-02-22T22:03:24Z</modified> 
<issued>2009-12-18T19:53:42+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">ルペルト・フーバーの指揮でクリスマス音楽特集、といっても現代音楽的ではあるが。彼はシュトットガルト時代から変わっていることで有名で、いつもサーカスのピエロのような服装で目立っていた。今回は何年ぶりで見るが、あのとてつもなくおっかない仰々しい鋭い眼は健在で...</summary> 
<dc:subject>現代音楽</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://kan-no1959.dreamlog.jp/archives/945450.html">
<![CDATA[ルペルト・フーバーの指揮でクリスマス音楽特集、といっても現代音楽的ではあるが。彼はシュトットガルト時代から変わっていることで有名で、いつもサーカスのピエロのような服装で目立っていた。今回は何年ぶりで見るが、あのとてつもなくおっかない仰々しい鋭い眼は健在である。<br>
<br>
練習前から靴を履かないで、風変わりな靴下で指揮台を行ったりきたりしている人がいるのが本人だと気づくまで相当時間がかかった。髭がせーゲルスタムの様に仙人風にボウボウと伸び、10年ぐらい前の指揮者とはとても同一人物とは思えなかった。<br>
<br>
今回はバッハが原曲でストラビンスキー編曲のコラール変奏曲をオーストリア訛りの解説付で取り上げた。この曲は「プルチネラ」同様音楽の外郭だけを残しポリフォニーとはいえ内部の和声構造をそっくりそのまま取り替えた物である。ストラヴィンスキーの和声法になれた耳からはとても快いが、この和声学を知らない耳にはとても辛く気持ち悪く感じる。<br>
<br>
ケルン放送合唱団はまたあの客席の高いひな壇ではなくて、オケのすぐ後ろに陣取っているのでバランスがすこぶる悪い。ユニゾンであってもちっとも声が聞こえない。モーツァルトの「レクイエム」の大失敗をぜんぜんこの指揮者は学んでいないようだ！指揮振りは例の不器用なにょっきり棒！凄く下手に見えるがあれで結構性格に行けるものなのだ。<br>
<br>
この本番は今日の夜ラジオで生中継される。<br>
<br>
夜は何もオペラはコンサートはないので、久しぶりに日本文化センターの映画に行ってみた。日本で仕分けが問題になっているが、ここでも定員300名ぐらいに対して実際には10人いたがどうかである。凄い無駄使いである。これが現代音楽のコンサートとなると結構埋まるのだが、所詮公務員の仕事とはどこでもこういうものである。<br>
<br>
そしてShioto・Akihiko監督の「害虫」（2001)とか言う映画の面白くないこと！特に音が酷い。多分音のカナルは一本で、ハリウッドの様に何本もはないのであろう。雑音とかも一緒に台詞と一緒にあるのでいつも煩すぎて声そのものが全然聞き取れないので、すかさず下の英訳の字幕を見てしまう。とにかく日本の文化庁：国際交流基金は質の悪い犬も食わない映画を買い捲り、その一部だけを誰も来なくとも平気で上映している、税金の無駄遣いの総本山のようなものである。こういう実態を海外在住者で告発するものが何人いるだろうか？<br>

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<title>フィルハーモニー・オペラ（楽劇）「サロメ」12月3日、</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://kan-no1959.dreamlog.jp/archives/945363.html" />
<modified>2010-02-22T22:03:24Z</modified> 
<issued>2009-12-04T18:18:54+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">ケルンの公開練習はもはや練習ではなくて地元の音大学生にとってはもう本番、ドヴォルザークのピアノ五重奏イ長調を約40分全部演奏していた。どうも音大の校舎では演奏の需要をまかないきれなくてフィルハーモニーまであふれ出たようだ。学生だからたいしたことないと甘い考...</summary> 
<dc:subject>オペラ</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://kan-no1959.dreamlog.jp/archives/945363.html">
<![CDATA[ケルンの公開練習はもはや練習ではなくて地元の音大学生にとってはもう本番、ドヴォルザークのピアノ五重奏イ長調を約40分全部演奏していた。どうも音大の校舎では演奏の需要をまかないきれなくてフィルハーモニーまであふれ出たようだ。学生だからたいしたことないと甘い考えで遅れて入ったが、しかし会場は満杯。下手な外来のピアノ五重奏より緊張感があって完璧だし上手い！ここの学生は楽器の専攻生の多くはソリストになりたがらない。余りにも孤独で非人間的なので実力にかかわらず嫌がるのであろう。オーケストラではかなり弾く人が出てくるが、質の悪い学生も入ってくるため糞味噌一緒なのでそれほど好まないらしい。でも室内楽はいつ来ても盛んである。みんなソリスト級の実力ではなかろうか？ソロあり、アンサンブルあり、ユニゾンありである。それも各声部が完全に透けてわかる。東洋人がほとんどいないのが特色だ！<br>
<br>
その後はデュッセルドルフのオペラに行った。まずベゼッツンクを書いておく。<br>
MUSIKALISCHE LEITUNG Christian Badea<br>
INSZENIERUNG Tatjana G&amp;uuml;rbaca<br>
B&amp;Uuml;HNE UND LICHT Klaus Gr&amp;uuml;nberg<br>
KOST&amp;Uuml;ME Silke Willrett<br>
DRAMATURGIE Anne do Pa&amp;ccedil;o<br>
 <br>
HERODES Udo Holdorf<br>
HERODIAS Ren&amp;eacute;e Morloc<br>
SALOME Nicola Beller Carbone<br>
JOCHANAAN Markus Marquardt<br>
NARRABOTH Jussi Myllys<br>
PAGE Katarzyna Kuncio<br>
ERSTER JUDE Simeon Esper<br>
ZWEITER JUDE Michael Pflumm<br>
DRITTER JUDE Markus M&amp;uuml;ller<br>
VIERTER JUDE Manfred Fink<br>
F&amp;Uuml;NFTER JUDE Benno Remling<br>
ERSTER NAZARENER Adrian Sampetrean<br>
ZWEITER NAZARENER Florian Simson<br>
ERSTER SOLDAT Rolf Broman<br>
ZWEITER SOLDAT Timo Riihonen<br>
CAPPADOCIER Lukasz Konieczny<br>
SKLAVE Alma Sad&amp;eacute;<br>
 <br>
ORCHESTER  D&amp;uuml;sseldorfer Symphoniker<br>
<br>
最後にシュトットガルトで見た女性演出家には失望した。エッチな場面がなかったのだ。ここでも下着止まりででなかったが、その後半が気に入った。サロメが今度は周りの家来たちを刺して殺して歩くのだ。最後にヘロデアスも殺して、自分も銃で自殺して終わる。最近はサロメは脱がない。シュトットガルトの旧演出でゲッツ・フリードリッヒが照明を暗くして脱いだくらいだ。ウィーンのギネス・ジョーンズの擬似裸よりはリアルで良いが？<br>
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舞台は美しいが、Wienのフランコ・ゼッフェルリの「ボエーム」第一幕や、オットー・シェンクの「薔薇の騎士」第一幕のように。小さくしたマッチ箱のような田舎舞台でやっていた。共同制作の隣のデュイスヴルクにも持って行けて上演するためか？<br>
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管弦楽はもう見てもすべて一管足りない12型。昔ショットの出版カタログに「リング」やR・シュトラウスの4管編成の縮小版の3管編成楽器編成が書いてあったがそれらしい。フライブルク・オペラの「リング」だったらそれでもやれる。ウィーンやシュトットガルト・ミュンヘンなどでの金持ち都市のほぼフル編成に慣れている聴衆としてはちょっと珍しいので興味が沸く、と同時にルール地方はそれほどお金がなくてかつそれほどR・シュトラウスをやりたいのかがわかる。単純計算だと管楽器一人に付き33％時間的に余計に吹く。それでも意外と破綻は来たさないで楽しくやっているらしい。休みも少ないので数えるのにぜんぜん苦労しないようだ。古典をやるといつもやる気がしない合わないオケも今度ばかりは高品質でやっていた。要は彼らはいつもモーツァルトのような楽なものではなくてこういう名人芸のような難しいものをやりたいらしいという意思がつくづく伝わってきた。それが予算削減でつまらないプログラムしかできないことも原因のひとつなのだ。しかし会場の入りは50％切っているのではないだろうか？採算路線に満たない赤字空席状況だ。1時間45分の上演時間だから120万円は一回に付上演権を払っているのであろう。<br>
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歌は縮小3管編成でも煩すぎてよく伝わってこない。ウィーンのような中古楽器ではないので楽器の発展・改良とは音量の増大だけの歴史だったのではないかと思われる。<br>
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指揮は下手な棒だが良くわかっているのでオケが確実に出れるようだ。<br>

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<title>WDR現代音楽際、11月19日、フンクハウス</title> 
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<modified>2010-02-22T22:03:23Z</modified> 
<issued>2009-11-20T19:23:08+09:00</issued> 
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題名のClocks and Cloudsはアンサンブル・ヨーロッパの一環であろう、今年も恒例的に始まったこのコンサートは三日間、土曜日まであるが、仕事が忙しくて初日しか行けない。後日は途中にシューベルトとか入ったりして、現代音楽を聴きに行くにはもったいないほどのくだらな...</summary> 
<dc:subject>現代音楽</dc:subject>
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題名のClocks and Cloudsはアンサンブル・ヨーロッパの一環であろう、今年も恒例的に始まったこのコンサートは三日間、土曜日まであるが、仕事が忙しくて初日しか行けない。後日は途中にシューベルトとか入ったりして、現代音楽を聴きに行くにはもったいないほどのくだらないプログラムなので行く意欲が最初から薄れた。<br>
<br>
題名はPermeableで19時から作曲家のマルティン・オルブリッシュとクラウス・オスパルトの自己の作曲の説明会があった。まあいつものとおり討論はしたが、マルティーナ・ゼーバーのいつもの決まりきった質問に対しては同じ決まりきった答えしか出てこないので収穫は特になかった。<br>
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20時間らの本番は、まず40歳で夭逝した、クリストフ・デルツの「二つの夜想曲」で始まった。炬の人はその晩年の遺言により財団が作られ作曲コンクールなどを催しているのでかなり名がある。このバーゼル生まれのピアニストでありシュトックハウゼンの弟子であるスイス人は、昔ラッヘンマンがゲストでシュトットガルトに招聘したことがあるが、ヨハネス・フリッチェのような師の物まねに走るのではなく、かなり独創的に自分の音楽を追求していることがわかる。彼のピアノ協奏曲作品９は楽器をプレピアードする代わりに刷毛を現に差し込んで音を変えていたのだ今でも印象に残る。今回の晩年に近い作品11は第一楽章はやはりピアノ協奏曲的な傾向で、あまり特殊奏法を使わず無調の音だけで新傾向を探る音楽、第二楽章は乾いた独自の特殊奏法の駆使による楽曲。約15分。<br>
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二曲目のマルティン・オルブリッシュは1950にルール地方で生まれベルリンで勉強したベテラン作曲家。Coupures de tempsはその円熟を十分に満喫される。ピアノの定常的なアクセントに弦のスル・タストが支え、フルートとクラリネットも微分音のフラウターとで協力する約12分の作品。2009年の作品で今回が初演。新しい新発見はないがこういう曲はいつでもありうるという素材を絞った見本的な音楽。<br>
<br>
三番目のグリセイはやはり志半ばでしんだ作曲家。その Tal&amp;eacute;aは文字通りスペクトルの倍音が入ってはいるが、それが楽派の長といわれるほど頻繁には今回は出てこない。オルブリッシュは最初の作品説明会でグリセイを「流れ音楽」の巨匠といったが、そんなに流れきっているかはこの作品に関しては疑問を入れておこう。途中でチェロが別のチェロの持ち換えるシーンがあるが何のためだか良くわからない。たぶん調弦にあると思えるが、曲にはその効果は十分現れてはいない。<br>
<br>
休息をはさんで最後の曲はクラウス・オスパルトのCosi,dell&amp;uacute;omo ignaraはドナウエッシンゲンの昔聞いた「交響曲」でもおなじみのように室内オケにハル程度のらいヴ・エレクトロニックをかけた作品で20年以上も前とほとんど進化が見られない音楽。彼の音楽はお惚け程度で全くドイツ的な作風ではないが、フランス的でもイタリア風でもなく個性そのものなのであろう。しかし20年経った今、それが深まったとは言いがたい。<br>
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演奏のコレギウム・ノヴム・チューリッヒは地元の現代音楽際の中心になる団体なのであろう。編成がクラング・フォールム・ウィーンの様にフェアドッペルでかなり大きい。ベアト・フーラー風の風雨にさらされた素朴な顔立ちが多いのは、あそこの地元の特殊的な人種事情か？<br>

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<title>ケルンの「ホフマン物語」Wiederaufnahme、11月13日、</title> 
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<modified>2012-01-02T14:02:57Z</modified> 
<issued>2009-11-14T18:52:05+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">プレミエではなくてメンバーをほとんど入れ替えての新体制での最初の上演。ケルンのオペラにとってはこの演目は昔から「おはこ」もの、でその住所にもきちんとオッヘンバッハ・プラッツと名を売っているが、ケルン出身の唯一のクラシック作曲家だからだ。ニュールンベルク歌...</summary> 
<dc:subject>オペラ</dc:subject>
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<![CDATA[プレミエではなくてメンバーをほとんど入れ替えての新体制での最初の上演。ケルンのオペラにとってはこの演目は昔から「おはこ」もの、でその住所にもきちんとオッヘンバッハ・プラッツと名を売っているが、ケルン出身の唯一のクラシック作曲家だからだ。ニュールンベルク歌劇場の「マイスタージンガー」のようなものでる。でもいつかシュトックハウゼンの「リヒト」全曲もここでやっても良いと思う。もちろんあのヘリコプター群は費用削減のために録音でも良いが。<br>
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最初のプロローグで歌手が今時ドイツ語で歌いだしたのは絶望してきた。今時の訳語上演は珍しくなったからだ。それに変なことに字幕がフランス語？何だこれは、フランスの劇場か？と思っているうちに本題の第一幕：原典では第二幕か？今度は歌手が原語どおりフランス語で歌いだして、本来の形に戻った。この恋愛の思い出の場面と現実の語りの違いのコントラストを狙っているのかと思ったが、今度は台詞が登場して出場メンバーがフランス人とは限らないので、全員ドイツ語に戻ると思い切りや今度はわけのわからない原語で歌いだす。メンバー表を見るとイタリア語も入っているという。余り多言語化の上演の意味がありそうでない形態の演出。今でもわけがわからない。確かに最近発見されたオッヘンバックの原点版はビゼーの「カルメン」と同じくフランス語の台詞が入っていると聞く。<br>
<br>
演出は元ここのインテンダントのギュンター・クレーマーだが、言葉の説明なしで多言語化のわけを舞台で説明して欲しかった。この上演は一時間前の解説がなかった。舞台はキャバレーを思わせるミュージカル風の色彩を帯び、彼の最後の正歌劇としては喜歌劇から抜けきれないもどかしさがあった。この歌劇は事実上のグランド・オペラを浴びた5幕構成であり、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」などと似ている。雪が最後まで降り続き、意外と費用をかけている舞台でもある。元インテンダントの意見が費用の面にも適用されるのであろう。<br>
<br>
指揮のヘルムラートは若手と見受けられるが、凄く安定した指揮で好感がもてる。でもあのわかりやすい大振りの連続で最後まで持つのか？<br>
<br>
歌手のオリンピアはたぶん新人であろう、完全な完璧さはこの地方の劇場では求められない。この段階では育てるべきであって今は批判すべきでないかもしれない。壊れたオリンピアは首が取れるのではなくて顔面が取れるのでぞーっとする。時々合唱が遠くでまたは電車の中でトゥッティで歌うので視覚的には成功していてもオケとのバランスが取れない。バイロイトで活躍しているバリトンのユンがここでも出ているが、ここでは二回目らしい。ワーグナーよりも違和感のない声であり縁起である。<br>
<br>
オケはトランペットでなくてフランス風にコルネットを使っているようである。一回ハープが一拍早く出てしまったのと気づかれてしまった以外はなかなか上手い演奏である。<br>

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<title>11月5日：公開練習・ピアノリサイタル・音大オケ</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://kan-no1959.dreamlog.jp/archives/945190.html" />
<modified>2010-02-22T22:03:22Z</modified> 
<issued>2009-11-06T18:57:19+09:00</issued> 
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今回は再びキタエンコなのだが、今シーズンから彼はギュルツニッヒ・オケの名誉指揮者になったそうだ。オペラは振らないが、コンサートには定期的に呼ばれる。このオペラ・オケは昔からロシア系の指揮者を優遇する癖があって良い例は故ユリ・アロノビッチであろう。キタエ...</summary> 
<dc:subject>クラシック音楽</dc:subject>
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<![CDATA[<br>
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今回は再びキタエンコなのだが、今シーズンから彼はギュルツニッヒ・オケの名誉指揮者になったそうだ。オペラは振らないが、コンサートには定期的に呼ばれる。このオペラ・オケは昔からロシア系の指揮者を優遇する癖があって良い例は故ユリ・アロノビッチであろう。キタエンコはアロノビッチの様に徹底的に音をロシア風に買えるわけではなくドイツの音響をそのまま使用するが、そのレパートリーの面白さが彼を常に注目株へと引き立てる所以である。今回はチャイコフスキーの一番とスクリァービンの3番という面白い組み合わせだが、自分はあいにくすべての本番の時間中にいつも仕事なので、やはりこの公開ゲネプロは助かる。たかが30分だが、90分いたぐらい楽しませてくれる。今回はチャイコの1番から第三・第四楽章。自分は一番好きなレパートリーである。今まで見たのはプロはなくシュトットガルトの大学（音大ではない）オケである。あそこのアマオケは凄く斬新的なプログラムを組むとこで、かつてアイヴスの第一交響曲などもした事があった。もちろん技術的には未熟だが、自分はプログラムさえ良ければいつも行くことにしている。キタエンコもこの終楽章においては痒いところをすべて音楽的に&amp;#25620;いてくれるチャーミングな作品である。<br>
<br>
今回はやたらと生を聴きたくて、デュッセルドルフにCDを集めに行く気はしなかったので、ケルンに残ってそのまま5時からの音大生のピアノ・リサイタルに行くことにした。毎週木曜日の町の繁華街の真ん中の地下に無料で公開するのでいつでも気が向けば買い物の帰りに行きやすいのである。100席余りの聴衆はいつも満杯に近い。今回はユ・ミ・リーとか言う韓国人のピアニスト。主催者のケルンではなくてハノーファーで現在勉強しているらしく、めぼしい経歴は2007年にベルリンの国際コンクールで一位を取ってからハノーファーに来たのか？との推測が立つ。でも初頭のバッハの前奏曲とフーガ嬰ハ短調WK1？（この曲は平均律じゃないらしい？）は苦手と見た。小さなミスは全体には影響しないのだがテンポやリズムの処理はロマン派そのものなので、彼女のピアノはバロックには合わないのであろう。第二曲以降から彼女の得意曲が並べられた自分のどれも知らない曲ばっかり。メッドナーのOp.38-1,ファリャのFantasia baeticaはどこまで行ってもファリャ。休みをおいてスカルラッティのソナタニ短調K9/L-413.ハイドンの44番のソナタト短調、ラフマニノフの「モモ・ムジコー」（楽興の時）Op.16全曲。アンコールは同じくラフマニノフの何か知らない曲。東洋人にしては協奏曲型の大型のピアニストである。<br>
<br>
最後はケルン音大オケの定期。指揮科の教授ミヒャエル・ルーイックなのだがいつもの不器用な指揮は健在。この音大はプロのオケを指揮科の学生が振るときは無料で、学生オケを指揮科の教授が振るときが流有料な変なマネージメント・システムになっている。前に予定されていたドビッシーの「遊戯」が割愛されたのは大変残念だった。次のガーシュインのピアノ協奏曲ヘ長調は、先の韓国人のリサイタルと比べるのは不可能。とても上手いが曲が違いすぎる。その最後のベルリオーズの幻想交響曲はどこまで行ってもどんなにテンポを引っ張りようがドイツのどきつい音の連続。男性が一名のハープ4には驚いた。トランペット群も女性が3名、12型の弦だが5人のコントラバスも4名が女性。チューバも一人が韓国的な女性。ほかの東洋人もコンマスから始まって韓国系の国策かそれらしい人間が大半。そういえばCDの店で2009年のBMGが出している世界の新人歌手で、新人のコンクール入賞者が出している歌手のDVDもそのほとんどが韓国人で占められていた。<br>

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<title>デュッセルドルフの「ユリウス・シーザー」10月23日。</title> 
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<modified>2010-02-22T22:03:22Z</modified> 
<issued>2009-10-24T22:15:45+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:drecom_kan_no1959.945101</id>
<summary type="text/plain">Georg Friedrich H&amp;auml;ndel
(1685 - 1759)

GIULIO CESARE IN EGITTO
(Julius C&amp;auml;sar)
Dramma per musica in drei Akten
Text von Nicola Heym
 
In italienischer Sprache mit deutschen &amp;Uuml;bertiteln
 
MUSIKALISCHE LEITUNG Rainer M&amp;uuml;hlbach
INSZENIERUNG P...</summary> 
<dc:subject>オペラ</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://kan-no1959.dreamlog.jp/archives/945101.html">
<![CDATA[Georg Friedrich H&amp;auml;ndel<br>
(1685 - 1759)<br>
<br>
GIULIO CESARE IN EGITTO<br>
(Julius C&amp;auml;sar)<br>
Dramma per musica in drei Akten<br>
Text von Nicola Heym<br>
 <br>
In italienischer Sprache mit deutschen &amp;Uuml;bertiteln<br>
 <br>
MUSIKALISCHE LEITUNG Rainer M&amp;uuml;hlbach<br>
INSZENIERUNG Philipp Himmelmann<br>
KOST&amp;Uuml;ME Gesine V&amp;ouml;llm<br>
DRAMATURGIE Hella Bartnig<br>
 <br>
CESARE G&amp;uuml;nes G&amp;uuml;rle<br>
CORNELIA Marta M&amp;aacute;rquez<br>
SEXTUS Theresa Kronthaler<br>
CLEOPATRA Sylvia Hamvasi<br>
ACHILLAS Laimonas Pautienius<br>
PTOLEM&amp;Auml;US Tim Mead<br>
NIRENO Daniel Djambazian<br>
 <br>
ORCHESTER  D&amp;uuml;sseldorfer Symphoniker<br>
今年はヘンデルのオペラの上演がどこでも続く。編成が小さいので安上がりであるが、必ずしも大衆的人気を得ているわけではない。いつも同じ形式の序曲やアリアにはバッハよりも遥かにうんざりさせられる。さらに管弦楽法が超地味とあっては今回のように途中で出て行く人の増加は避けられない。<br>
<br>
この上演はまるでゲネプロから始まったような上演だった。声が聞こえてこないのだ。音程も良くないが、次第に勢力を増して次第に普通の上演のような声量になった。休憩の後も同様。歌手陣にイタリア人はいないらしく人工的なイタリア語に終始してしまったのは必然の結果だった。<br>
<br>
この劇場は音響が極めて悪いことも特徴のひとつだ。どんなにAクラスの金をかけていい楽員を雇ってもいつも音の響きが台無しになる。イタリア語の子音と同様、音楽のメリハリがとても悪い。通奏低音はそれでも工夫して、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ハープ、リュートの組み変えで単調な退屈感を避けていたが、それにしてのこの音響は、自分がこの始めて聴くヘンデルの名作のために全曲盤を3通り聴いて予習したが、その安ライヴCDの音響よりも劣っていた。<br>
<br>
演出はそのいつものシュトットガルト方式で、最初兵士が銃を持って出てきて食台に「サロメ」風の生首が添えられる。しかし予算不足のため最後まで基礎舞台が大きく変わることはないので、聴衆は2時間半以上同じ装置ばっかりを見せられる羽目になる。見てもしょうがないので音楽の方を聴くが、このCDよりも悪い響きにはさすがに閉口する。<br>
<br>
ミュンスターのGMDのライナー・ミュルバッハは大昔バッハアカデミーの指揮講習会を一緒に受けたので良く知っているが、当時の天才青年は見事に現在に「一般指揮者陣」に変身していた。ピアノが抜群で指揮も上手いのだが、しかし今でも良い音楽をする単なる指揮者に過ぎない。だから何だって言うのか？東ドイツの指揮者は今でも全員世襲制ではないのか？彼の遅いテンポのおかげで最終の急行に乗るのに4分遅れてしまった。もう全然ないので鈍行でかえるはめになる。<br>
<br>
最初の駅のホームで待っているとアメリカのコレスポンデンスの陽気なお姉ちゃんたちから堂々と英語で話しかけられた。「英語しゃべれるか？」、「まあ、何とか」、「ベンラートに行くにはどうするのか？」、ここに住んでいないので詳しく知らないため一応簡単に説明すると、横からアメリカ英語ペラペラの東洋人が助け舟を。何でこんなにしゃべれるんだ？何だロサンジェルスの出身か。日系人？そこまではわからなかった。わかっても日本語は無理だろう。ここに長く住んでいるらしいのでドイツ語も抜群だ。<br>
<br>
中央駅から別の電車に乗る。脇に座った中国人のグループの会話のにぎやかなこと。ケルンでまた別の快速電車に乗り換えた。前に座っているイタリア人がイタリア語で大声電話をかけていた。そういえば昼間にコピーした店の連中もアラビア語らしきものを喋り捲っていた。われわれの共通語はいつも英語かドイツ語だ。このようにもうグローバル化は全く後戻りできない世界になってしまった。言葉もその需要に合わせてその都度学ばなければならない。この事実を受け入れよ！午前2時前に家に到着。<br>
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<title>ビチコフ＆ケルン放送響の公開練習、10月15日、フィルハーモニー</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://kan-no1959.dreamlog.jp/archives/945019.html" />
<modified>2010-02-22T22:03:21Z</modified> 
<issued>2009-10-16T17:20:44+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">彼は先シーズンでやめると思っていたのがもう一シーズン残っていたようで、この間にショスタコーヴィッチ交響曲全集を完成させるのかどうかはわからない。

今回の公開練習はもう夜に本番があるので完全にGPのようなものである。今回もかなりのTVカメラが入って客席をかなり...</summary> 
<dc:subject>クラシック音楽</dc:subject>
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<![CDATA[彼は先シーズンでやめると思っていたのがもう一シーズン残っていたようで、この間にショスタコーヴィッチ交響曲全集を完成させるのかどうかはわからない。<br>
<br>
今回の公開練習はもう夜に本番があるので完全にGPのようなものである。今回もかなりのTVカメラが入って客席をかなり陣取っていた。こういう曲ほどTVの映像に撮って流すのが公共放送の本来の役割である。曲目はウィリアム・ウォルトンの第一交響曲変ロ短調と余り聴きなれない曲目だが、これだけ公開練習に通っているともう二回目になりかなりこの曲に親しくなっていく。<br>
<br>
第一回目はこの曲を10年ほど前にシュトットガルトの公開練習で聴いている。当時はノンリントンが就任したてで、無名なこの曲などを広めるために毎週土曜日の午前中3時間余りを放送局の公開練習に当てたのだ。この曲は定型的なイギリスのプロムスやナクソスCDが好むレパートリーで普通の音楽愛好者が喜んでチケットを買って入って聴く代物ではない。当時は練習の初日だったらしく、本当に彼のお笑いをおかずにした練習そのものを聴く事ができた。シュトットガルトは本当にドイツそのものがさついた音なのでそれでイギリスものをまとめるには非常に苦労するが、それでも背景のテンポだけは本来のものに近づけていった。残念ながらこの曲を本番は何かの都合で見ることができなかったが、練習の方が3時間何度でも満足の行くように繰り返すのでこの曲の印象を強く焼き付けることができる。<br>
<br>
今回のケルン・フィルハーモニーではビチコフが先だってマイクを持ってちょっと解説した。シベリウスの「エン・サガ」などの交響詩に似ていること。しかしリズム処理そのものはイギリス民謡のそれである。第一楽章はシベリウスの交響詩風のリズム・オスティナートで始まる。ヴォーン=ウィリアムスの様に海への憧れを示す和声感が塩のしぶきとなって舞い上がる。第二楽章はスケルツォ。規模的には余り大きくない。第三楽章は普段どおりゆっくりしているが、シベリウスの第七交響曲風のヴァイオリンの3度の高揚が目立つ。第四楽章はここで初めて、ニールセンの第四交響曲の様にティンパニが二人に増える。使い方がポリフォニックではなくユニゾン風なのでかなり不器用に聴こえる。<br>
<br>
フォルテッシモは割れ方がワーグナー風に荒くなるが、ケルンの放送オケの方がシュトットガルトに比べてピアニッシモはラテン風に美しく鳴るのがイギリスの音楽にも良く合う。全曲の演奏時間50分近くは、あわせて演奏されるブラームスの第二ピアノ協奏曲と同じ規模で、連れて行った3歳の娘にはとてもきつかったようだ。いつもただなので一番前付近の最高席で、声は出さなかったが第三楽章から盛んに動き始めた。<br>
<br>
しかし本来は30分の公開練習にもかかわらす、50分近い全曲を止めないで提供してくれたイギリス人ではないロシア人のビチコフに感謝。さすがに第二回目は親しみがぐんと増す音楽である。<br>
<br>
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<!-- BASENAME=http://kan-no1959.blog.drecom.jp/archive/82 -->]]> 
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<title>DTKV, 音楽原稿図書館によるCD、ジークブルク音楽工房、NM-0208</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://kan-no1959.dreamlog.jp/archives/944930.html" />
<modified>2010-02-22T22:03:20Z</modified> 
<issued>2009-10-03T21:20:45+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:drecom_kan_no1959.944930</id>
<summary type="text/plain">第一曲目：1932年生まれのウアズラ・コイセン＝ニッケルの「ミサ」ハ調。作曲当時の2007年の今でもこういう調性ミサは無数に作られている。ちょっと旋法調でもあるが立派に古典調性の機能がある。歌いやすいので上演されやすいが、生命力は圧倒的に短いであろう。実用音楽の...</summary> 
<dc:subject>ＣＤ批評</dc:subject>
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<![CDATA[第一曲目：1932年生まれのウアズラ・コイセン＝ニッケルの「ミサ」ハ調。作曲当時の2007年の今でもこういう調性ミサは無数に作られている。ちょっと旋法調でもあるが立派に古典調性の機能がある。歌いやすいので上演されやすいが、生命力は圧倒的に短いであろう。実用音楽の範疇には留まるのかもしれない。こういう耳に快い宗教音楽が無数につかられている現実を把握するのは必携なことである。ウエーバーとミカエルヤンのソロ、聖マルティヌス・ニーダープライス・聖セチリア合唱団、ライン＝ジーク・カンマー・ゾリステン、ブリングの指揮。約17分。<br>
<br>
第二曲目：1963年生まれのマックス・メルケルの「ピアノのための二つの小品」（1995）。一曲目の「捧げ物」は音楽による「流し」で技術的には難しくはない。二曲目の「楽しげに」は無調的な諧謔音楽。全部で4分。<br>
<br>
第三曲目：1947年生まれのモイセイ・ボロダの「チェロとピアノのために二つの小品」（2007）。一曲目の「私の愛する人よ、どこにいるのですか？」はモノローグがほとんどを占める調性音楽。二曲目の「悲歌」は余り悲しくない雰囲気が支配的で古典音楽である。約8分。<br>
<br>
四曲目：1921年生まれのクルト=ヨアヒム・フィリーデルの「ピアノのためのカプリチォ」（1966）ショスタコーヴィッチのような即興音楽で約4分。<br>
<br>
五曲目：1953年生まれのパトリース・コパードの「サキソホーンソロのための三つの小品」（1980）。一曲目のアンダンテはモノローグなので伴奏のない音楽がもっとさびしくなる。二曲目のヴィーヴォは余りそれに入ったとは気づかない速さの音楽でアンダンテのままでもこういう風には書ける。三曲目のアンダンテはその前楽章の速い雰囲気で終了。全部で約5分。<br>
<br>
六曲目：1940年生まれのヘルムート・ビラーの「ピリオド・フルートとチェロのためのデュオ」（1990）は音色の多様性やコントラストに問題がある。約10分。<br>
<br>
七曲目：1949年生まれのヴァルトラム・ホルフェルダーの「アルトサクソホーン・ソロのモノドラマ」（2003）。余りモノローグとはいえないが内容の充実にはこの分野においてはテクニックの集積は欠かせない。約3分。<br>
<br>
八曲目：この企画の率役者の1942年生まれのヨスト・ニッケルの「4つのフルートと八つのチェロと4つのサクソホーンのためのファンタジー」（2007）。仰々しい音楽だが音色への不満の解消にはむしろこういう編成は望ましい。識者がいないのかマイクのセッティングが悪いのか余りバランスが良いほうではない。ユニゾンが多くその合わない高さは反ってトゥッティの醍醐味を増してくれる。約9分。<br>
<br>
九曲目：ヴァルトラム・ホルフェルダーの「12のサクソホーンのためのシルエット」（2003）。いわゆるサキソホーン・オーケストラの為の作品である。何らかの方法を駆使して長く続けさせる努力は惜しむべきではないであろう。約7分。<br>
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<title>新しい映像アップしました！</title> 
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